第26話 イブキ


「ここが……最後のジムがある町……」

 フスベシティに足を踏み入れて、ミアは感慨深そうに呟いた。
 それから遅れて洞窟内から出てきたゴールドたちに、声をかける。

「……えっと……先にポケモンセンター、ですよね」

「そうだな。もう夕方だし、今日は休もうか。ポケモンたちも疲れてるだろうからな」

 ゴールドはそう言って、離れた場所にあるポケモンセンターを指差した。

 +++

 ユウを部屋のベッドに寝かせて、ゴールドたちは外の空気を吸ってくると言って出かけてしまった。
 眠る彼の様子を見るために残ったのは、ミアとエリアの二人だった。

「……あの」

 自分と彼女の間に流れる微妙な空気に耐え兼ねたのか、ミアがエリアに声をかける。

「なあに?」

 しかしエリアは気にせずきょとんと首を傾げた。

「……私に何か、お話があるのでは……?」

 恐る恐る尋ねるミアに、彼女は「ああ」と笑う。

「うん、私ミアちゃんとあんまり話したことなかったかなって思って。
 ……ていうか、敬語とか使わなくていいよ? 私たち、同い年じゃない」

「いえ、それは……そうですけど。さすがに、ロケット団を倒したすごい人たちにそんなこと……」

 ミアはそう困ったように言いよどむが、エリアは優しく笑いかけた。

「……ねえ、ミアちゃん。ミアちゃんは、“すごい”トレーナーってなんだと思う?」

「……え?」

 その突然の問いかけに、ミアは首をひねる。
 そうしてしばらく考えたあと、おずおずと答えを口に出した。

「……そう、ですね……。やっぱり、悪い人を懲らしめることができる人……でしょうか?」

「そうだね。確かにそれもすごいよね。
 ……でもね、友だちのことを想って、友だちのために動いて、友だちに手を差し伸べることができる……そんなことも、じゅうぶん“すごい”と思うな」

 そう言って優しく微笑んだエリアに、ミアはぽかんとした顔を向ける。
 それにまた笑みを深めてから、彼女は続けた。

「私たち……特にゴールドくんとクリスくんはね、友だちであるシルバーちゃんを守りたくて戦った。
 もちろん、ロケット団が許せなかったのもあるけど……最初から最後まで、大切なのはシルバーちゃんを守って助けることだった」

「友だちの、ため……」

「そう。そしてそれは……ミアちゃんと、何も変わらない」

「……私と?」

 思いがけない言葉に、ミアは驚いたような声を出す。
 彼女たちの冒険の根本にあったもの。自分の根本にあるもの。
 それは確かに……同じなのかもしれない。

「そうだよ。ミアちゃんはユウくんやラツキくんのために、目をそらさずに向き合って……二人を助けようとしてる。
 それはじゅうぶん“すごいこと”だと私は思うな」

「……エリアさん」

「ね。だから、私もゴールドくんとクリスくんも、みんなミアちゃんと変わらないの。
 “すごいトレーナー”じゃなくて、ただの、ミアちゃんと同じ……友だちのことが大切なトレーナーなんだ。
 そして、私たちはミアちゃんのこともユウくんやラツキくんのことも、大切な友だちだって思ってるよ」

 エリアの温かな想いに、ミアは名を呼ぶことしかできなくなる。
 胸がいっぱいだった。知らず知らずのうちに、自分ひとりでたくさんのことを背負ってしまっていた。

「だからね、ミアちゃん。ユウくんやラツキくんにも言えることだけどね。
 ひとりで抱え込まないで。
 ミアちゃんたちには私たちがついてる。ひとりじゃないよ、大丈夫。ね?」

 その言葉に、耐えきれなくなったのか泣き出すミア。
 ぽろぽろと、大粒の涙がその手を濡らしていく。

「……っう、うう……っ!!」

「辛いときや悲しいときは泣いていいんだよ。大丈夫、大丈夫。 そばにいるよ。助けるよ」

「うう……エリアさあん……っ!!」

 嗚咽を漏らす自身を抱きしめたエリアに、ミアはすがりつく。
 そんな彼女をあやすように、エリアはその橙色の髪を優しく撫でたのだった。

 +++

 ――次の日。

 ミアはフスベジムの扉の前に立っていた。
 目元は赤く腫れていたが、彼女の表情は晴れ晴れとしている。

 意識を取り戻したユウに「何かあったの?」と首を傾げられたが、ミアは笑って何でもないわ、と返した。

(私は一人じゃない。私たちのことを心配してくれる人たちが、こんなにたくさんいるんだもの)

 息を深く吸って、吐き出す。まずは、自分のやるべきことを始めよう。


「――……ごめんください!! ジム戦に挑戦しに来ました!!」


 ミアの迷いのない声が、フスベジムに響き渡った。


「ようこそ、フスベジムへ。私はジムリーダーのイブキよ」

海江いりえ 未亜ミアです! よろしくお願いします!」

 受付を済ませバトルフィールドへやって来たミアたちを待っていたのは、ジムリーダーの女性・イブキだった。
 観戦しようと着いてきたゴールドたちが観客席へ向かったのを見て、彼女はルールを説明する。 

「バトルを始める前に、ルールの説明……というか確認をするわね。
 使用ポケモンは三体、交代制。いいかしら?」

「はい!」

 それに力いっぱい頷いて、ミアは選んだ三体に「頑張ろうね」と声をかけた。


「ミアさん、楽しそうだね」

 そんな彼女を観客席から見ていたラツキが、安心したような声音でつぶやく。
 そうだね、と相づちを打ったユウは、浮かない顔をしていた。

「……ユウ、大丈夫?」

「……うん。平気……大丈夫、だよ」

 覚悟を決めたような瞳で、彼はフィールド上のミアを見つめる。

「……僕も、頑張らないとなって思ったんだ」

「え……?」

 心配そうに聞き返したラツキだったが、バトル開始のアナウンスがそれを遮った。


「フリューゲル、お願い!」

「行きなさい、ギャラドス!」

 二人が投げたボールからそれぞれ飛び出したのは、ヨルノズクとギャラドスだった。
 優雅にジムの上空を舞うミアのヨルノズクに、イブキの指示を受けたギャラドスが襲いかかる。

「ギャラドス、“りゅうのいかり”!」

「っ!」

 巨躯を物ともせず軽やかに動き、衝撃波を飛ばすギャラドス。
 ヨルノズクは間一髪でそれを躱し、ミアに目線を送る。

「“エアスラッシュ”!」

 彼の視線に頷き返したミアが指示を出すと、ヨルノズクは翼を羽撃かせ、生み出した空気の刃でギャラドスを斬りつけた。
 そうしてギャラドスが怯んだ隙に、畳み掛けるようにミアが声を張り上げる。

「今よ、フリューゲル! “はがねのつばさ”!!」

 鈍い音を立て、硬い翼がギャラドスの巨躯に叩きつけられた。
 ぐらり、と倒れるギャラドスに、イブキは悲鳴に近い声を上げる。

「ギャラドス! ……なかなかやるわね」

「ええ。私は……負けませんから」

 手持ちのポケモンが一体倒れたにも関わらず、不敵に笑うイブキ。
 けれどミアも負けじと微笑んでみせた。

(負けない。負けるわけにはいかない。誰にも、自分の心にも)

 イブキが二体目のポケモンを繰り出した。
 青と白の体を持つ、竜のようなそれは。

「二匹目はこの子よ! ――ハクリュー!」

「ハクリュー。カイリューの進化前のポケモンだね。
 天候を操るチカラがあると言われてるドラゴンタイプの子だ」

 観客席で試合を観戦していたユウが、そう解説をする。
 ふうん、と相づちを打ったラツキは、青い竜に視線を戻した。

「かわいいね」

「かわいい見た目に騙されると、痛い目を見るぞー。
 あのハクリュー、相当鍛えられてるみたいだし」

 率直な感想を零したラツキに、ゴールドがからからと笑いながら分析する。
 現に、彼らの眼下ではミアのヨルノズクがハクリューに倒されていた。

「ミアさんも騙された……わけじゃないよね?」

「うん、あれは多分……ハクリューの強さを測ったんじゃないかな?」

 首を傾げたラツキに、ユウが頷く。
 彼の言うとおり、ミアは倒されたヨルノズクに労りの声をかけながらも動じてはいなかった。
 慌てることなく次のポケモンが入ったボールを投げる。
 そうして中から飛び出してきたトゲチックに、的確に指示を出した。

「フィラン、“てんしのキッス”!」

 純白の妖精のようなそのポケモンが、ハクリューにキスをする。すると、ハクリューはクラクラと混乱状態に陥ってしまった。

「っハクリュー!」

「よし、いいわよフィラン! 続けて“じんつうりき”!」

 ハクリューを呼ぶイブキをよそに、ミアは更に指示を出す。
 混乱して自我を失っているハクリューに、トゲチックのエスパー技が決まった。

「おお。フィランの勝ちだな」

 感嘆の声を漏らすゴールドに、ラツキもわあ、と笑顔を見せる。
 目を回して倒れるハクリューがボールに戻り、イブキは「なるほど」と呟いた。

「さすがね。伊達にここまでジム戦を勝ち抜いてきたわけではないってことね」

「当然! だけど……私はまだまだ強くなります!
 大事なものを守れるように……どこまでも!」

 だから……勝たせてもらいます!
 そう高らかに宣言したミアに、イブキも満足げに頷く。

「それでこそ、チャレンジャーに相応しいわ!
 行きなさい、キングドラ!!」

「フィラン、戻って! リヒト、お願い!!」

 イブキが投げたボールから出てきたのは、タツノオトシゴのような青いドラゴン。
 対してミアは、トゲチックを戻して相棒……ピカチュウを繰り出した。

「リヒト! “でんこうせっか”!! そして“たたきつける”!!」

 ミアの指示に、ピカチュウは四肢を駆り目にも留まらぬ速さでキングドラに近づき、その体を文字通り叩きつけた。
 キングドラは一度地面に倒れたが、すぐさま体勢を立て直しピカチュウを睨んだ。

「キングドラ、“えんまく”よ!」

 イブキの声に、キングドラは煙幕を張る。
 煙がフィールドを覆い、ミアとピカチュウはキングドラを見失った。

「っ集中よ、リヒト……!」

「無駄よ! “ハイドロポンプ”!!」

 周囲を警戒するピカチュウだが、不意に煙幕の中から激しい水流が放たれた。

「リヒトッ!!」

 水流に押され、ダン、と勢いよくフィールドの端……壁に叩きつけたピカチュウ。
 しかし彼はなおも立ち上がり、赤い両頬からパチパチと電気を放っている。

「……うん、思いっきりいくよ……! “かみなり”!!」

 ミアが指示を出したのと同時に、ピカチュウは鳴き声と共に巨大なかみなりを落とした。
 激しい雷鳴がフィールドに響き、落雷と共に晴れた煙の先には。

「っキングドラ!」

 ――直撃したのか、倒れ伏すキングドラの姿があった。

「キングドラ、戦闘不能! 勝者、海江 未亜!!」

「勝っ……た……!?」

 勝敗を告げる審判の声に、ミアはきょとんと辺りを見回す。
 それから駆け寄ってきた相棒を抱き上げ、みるみるうちに笑顔になった。

「勝ったー!!」

 やったあ! とピカチュウを抱いたままくるくる回るミアに、イブキが近づく。

「おめでとう。見事だったわ。よく懐き、よく鍛えられているのね、あなたのポケモンたち」

「あ、えへへ……ありがとうございます!」

 裏のない賞賛の言葉に、ミアは屈託なく笑い頭を下げた。
 そんな彼女に、イブキはそっと手を差し出す。

「ライジングバッジよ。……これで八個のバッジが揃ったわね」

 光に照らされて輝くそのバッジを、ミアは恐る恐る受け取った。

「これが……ライジングバッジ……。私……!!」

 カチリ、とバッジケースにそれを嵌める。ミアの手の中にある、八個の煌めき……それは、つまり。

「ええ。ポケモンリーグへの挑戦権を得た、ということね。
 ……まあ、その前に手前のチャンピオンロードを突破しなければいけないけれど」

 柔らかに笑むイブキに、ミアは感極まったようにこくこくと頷く。

「わ、私! がんばります!!」

「ええ、頑張ってちょうだい。貴方がチャンピオンを倒すの、楽しみにしてるわ」

 笑顔で握手を交わす二人。
 ……すると、客席から降りてきたユウたちが次々にミアを祝う声をかけてきた。

「ミアさん、ほんとすごかった!」

「えへへ、ありがとラツキ」

 きらきらとした眼差しで自身を見るラツキに、ミアは照れたように頬を掻く。
 そんな二人を微笑ましく見守る仲間たちへ、イブキが「ところで」と話しかけた。
 ……厳密には、その視線の先にいたのは……。

「……葵守あおかみ 結友ユウ。私、あなたとも戦ってみたいわ」

「……は……!?」

 異例とも言える、ジムリーダー直々のバトルの申込み。
 驚く一行に、イブキは事も無げに話を続けた。

「もちろん、フスベのジムリーダーとしてではなく……ただのポケモントレーナー・イブキとしての申込みよ。
 あなたのウワサ、他のジムリーダーたちから聞いていたの。とても強いらしい、とね」

「……そんな、僕は……」

 ユウを見据えるアイスブルーの瞳。
 逃げられない。ユウは無意識にそう感じた。

「ボールから見えるポケモンたち、よく鍛えられてるじゃない。
 それにあなたの目……不思議ね。大人しそうなのに、別の意志が見えるようだわ」

「――ッ!!」

 好戦的な視線で語るイブキに、息を呑むユウ。
 思わず一歩後退りかけるが……脳内に響いた声に、立ち止まる。

『……ユウ。行かせろ』

(クウ……そう、だね。……うん)

 固く握りしめていた手を離す。深呼吸を一つ。
 そうして、“答え”を待つイブキに、『彼』は笑った。

「――その挑戦、受けて立とう」

 暗い、昏い、深紫の瞳。
 自身を睨む『彼』に、イブキの喉がゴクリと鳴った。


 ――そこにいたのは、彼の“歪み”だった。



 第26話 終。