――44番道路。
「この先が“氷の抜け道”だよ。 すごく滑るから気をつけてね」
「はい」
エリアの明るい声が響く。 だが、それに頷いたのはミアとクリス、ゴールドだけだった。
「えぇっと……」
残りのメンバーを見ると、何とも言えない空気が流れている。
ユウとラツキは何やら思い詰めた顔をしていて、シルバーは相変わらずの無表情だった。
……あれから目を覚ましたラツキは、ユウとミアの微妙な空気に困惑していた。
エリアとクリスも同じように困った笑みを浮かべていて、自分を背負ってくれていたゴールドは、「気にしない方がいいよ」と1人のんびりと笑っていた。
そんな気まずい空気の中、一行は“氷の抜け道”と呼ばれる洞窟に着いた。 その名に相応しく、中からはひんやりとした空気が漏れている。
「う、わあ!?」
何気なくそこに足を踏み入れたラツキは、凍った床に気付かず滑りかける。
ぎゅっと目を瞑って衝撃に耐えようとするが、それはいつまで経っても襲ってこない。 疑問に思い開いた瞳に、自分の腕を掴み支えてくれているユウの姿が映った。
「……大丈夫?」
「……えっ。 あ、うん……ありがとう、ユウ」
感謝を述べると彼は複雑そうな顔をして、別に、と呟く。
「君を守ることは、オレの存在意義で贖罪だから」
「存在意義……贖罪……? ……君は……」
首を傾げて尋ねようとしたラツキを、いつの間にか先に行っていたゴールドが呼び掛ける。
「ユウー、ラツキー! 置いてくぞー!」
「……行こう」
今度は滑らないように、と差し伸べられた彼の手をそっと握りながら、ラツキは酷く困惑した表情を浮かべたのだった。
+++
「それにしても、意外だったな」
程よく整備された歩道を歩きながら語るのは、金髪を風に遊ばせている女性……ヒジリ。
少し前を歩く帽子の青年を見つめながら彼女は続けた。
「ハル、あの子のこと忘れてるって思ってた。 あんな指摘も、なんだかハルらしくないし」
そう言う彼女の声を背中で受け止めながら、青年……ハルアは振り向くことなく呟く。
「……あの事件のことを、忘れることはない」
そう、忘れることなどない。 カントー地方を巻き込み、ただの少年でしかなかったハルアの運命を大きく変えた7年前のあの事件を、ヒジリも忘れることはない……忘れられない。
ハルアだけではない、あの緑髪の少年……葵守 結友の運命をも変えてしまったのだから。
あの日……カントー全土を震わせたあの日、ヒジリたちはトキワシティにいた。
穏やかであったはずのその場所は、一転して燃え盛る炎と逃げ惑う人々の悲鳴に包まれていた。
ロケット団、と名乗る組織が、トキワに……カントーに住まう全ての生き物を捕らえ支配しようと目論んでいたのだ。
各地でジムリーダーたちが対処する中、ジムリーダー不在であったトキワシティとその先にあるマサラタウンを守るため、ヒジリたちは戦った。
結果としてロケット団を壊滅にまで追い込んだものの、あの戦いによって払った犠牲はあまりにも多大だった。 街は復興したものの、今なおその爪痕を抱いて生きる人々もたくさん存在する。 ユウのように……――
(……辛いとか悲しいとか、そんなことを思う資格は私にはない)
戦火を潜り抜けたカントーから繋がるジョウトの澄んだ青空が、ヒジリには痛く感じた。
「……ヒジリ」
不意に、前方にいたハルアが彼女の名を呼び立ち止まる。 そのいつも通り感情を見せない声音に、ヒジリはなぜだか酷く動揺した。
「な、なに、ハル?」
「……あの時からずっと、ヒジリに言いたかったことがある」
目深に被った帽子からちらりと見える紅い瞳は、7年前から変わらなくて。
「……ヒジリが居てくれて、良かった」
少し緩んだその柔らかな視線は、不器用な彼なりの精一杯の笑顔。 心を許した相手にしか見せない、彼の本心。
暗い思考に陥っていた自分を救うかのようなハルアのその言葉に、ヒジリは思わず笑みを漏らす。
(ああもう、この人には……本当に、敵わないなあ)
「……私もだよ、ハル」
7年前からずっと、私は君の存在に救われてきたんだよ……――
+++
――一方その頃、ラツキたちは相変わらず氷の抜け道に苦戦していた。
ツルツルと滑る凍った床を何とか抜け、出口を目指す。
誰が作ったのかわからない梯子を昇り降りし仕掛けを解き、一度来たことがあるらしいゴールドたちはともかくラツキたちは寒さも相まって既にくたくただった。
「ほら、 もうすぐ出口だから頑張れ!」
疲れからなのかそれとも連日続く気まずい雰囲気からなのか、明らかに口数が少ない彼らをゴールドが励ます。 事実、彼が指差す先には出口と思わしき光が見えていた。
「……この先に……最後のジムが……」
そう呟いたミアが、一歩足を踏み出した瞬間だった。
「あらあら、無事に辿り着かせると思ってるの?」
敵意を剥き出しにした、聞き慣れた声が洞窟内に響いたのは。
「……っあんたは……!!」
警戒心を露にする一行。 そこにいたのは、“BATTLE GENERATIONS”の一員……マト、ネア、サキカの3人だった。
「私たちとバトルして、勝ったらここを通してあげるわ。
ま、満身創痍なあなたたちのポケモンじゃあ……勝つことは不可能でしょうけど!」
「……何か、卑怯者みたいだよマトさん」
自信たっぷりと言い放つマトに、ネアが複雑そうな表情でツッコミを入れる。
そう、彼女の言う通り、一行のポケモンたちは洞窟内にいたトレーナーや野生のポケモンたちとのバトルで体力を大幅に消耗していた。
「ポケモンたちを傷付けたくないのなら……ラツキを私たちに渡すことね……」
「……っ!!」
サキカのその言葉に、ユウたちは一斉に身構える。 ラツキのポケモンたちもボールから飛び出して、彼を守るかのようにボロボロの体のまま立ち塞がった。
「……みっみんな待って!! お、オレ……!!」
「その必要はない」
行くから、と続けるはずだったラツキをシルバーがそっと押し止める。
でも、と彼が口を開く前に、彼女はその手を祈るように組んだ。 すると途端に柔らかな光がラツキたちを包み込む。
「なっ……これは……っ!?」
「あら……何やら面倒なことになりそうね……」
驚くマトと反対に冷静なサキカを横目に、その光は溶けるように消えていった。 ふとラツキは自分の前にいた手持ちのポケモンたちの傷が癒えていることに気付く。
「え……傷が……」
「【守護者】の治癒能力……ね。 【始祖】が幻のポケモンから受け取ったというヒトならぬ力……。
まあ、今はそんなことどうでもいいわ! 改めて……私たちとバトルよ!!」
呆然とする彼らに、マトが独り言ちてから再度バトルを申し込んた。 少しふらついたシルバーと彼女を支えるゴールドを庇うように、ユウたちはマトたちの前に並ぶ。
「……どうしてもバトルをしたいと言うのなら……受けて立とう」
ボールを構えた深い暗紫色の瞳が、じっと彼女たちを射抜いた。 殺意にも似た感情を湛えたそれに思わず後退ったマトを見て、彼はにやりと笑みを浮かべる。
「ラツキは必ず、オレが守るから」
(君は……誰なの……?)
(君のことを知りたい……そう思うことすら、オレには……)
少年の戸惑いは、確かな疑問へと変化していく。
第24話 終。
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